2015年12月18日金曜日

FINAL HOME Episode 1


 
FINAL HOMEはブランドが先にあってデザインされたプロダクトではありません。

突然のインスピレーションを服の形を通じて機能させたものです。

命名と同時にマークも私がデザインしました。サンプルを自作しコンセプチャルアートとして多方面のプロダクトと共作していこうという考えの元にスタートしました。

FINAL HOMEの根幹でもあるザバイバルライフを実現する為には

量産が必要でした。それを可能にする為にファッション性を強調しアパレルの流通に載せる必要がありました、、、、、、

2015年11月28日土曜日

日本のジレンマ


「日本人の良い部分を日本人が分かっていない」と海外から忠告される事かあります。

最近では日本文化をミニマルな視線から再デザインする事がブランディングの特徴です。

しかし、日本の良さを感じているからこそ、それを出さない美学もあります。

例えば、若者の行動に清々しさがあるのは自分の魅力に気付かないからこそです。

無為が大切なのです。

大人になるとは自分の魅力に気づき利用方法を意識しだします。それが繰り返されると嫌味になります。

成熟した西欧文化をもってナイーブな日本を憂いているとも受け取れるのです。

今では教育され大人になった日本人は文化も幼さも魅力として利用する様になりました。

しかし、その流れ、特に一部の若者の美学とそぐわない事があるとも考えられます。彼らは強い土着性をもちあわせ、純粋性から心を奪われた事に後ろめたさを感じているのではないかと思います。そのジレンマから欧米文化を日本文化と混ぜ合わせます。敢えて下品に仕上げた自分を作品として反抗的な行動にでるのだと思います。

皆、気づいているのです。日本文化の中に幼さを守る知恵がありそれこそ美学だと。それが身体化している日本人は無意識的に外部の期待を回避しているのだと、、

しかし、大人になれ!というプレッシャーは強くなる一方です。

 

 

2015年11月17日火曜日

多様性を阻む感性




現代は製品の機能性で差異を示す事が難しい事もあり

ブランドの価値をデザイナー始め関係者の趣味性に由来させる場合が

多々あります。ファッション業界では、それをデザイナーズブランド、デザイナーズ

キャラクターブランドと称したりします。それを広げる為には特徴を際立たせ、

差別化をはかる事が大切になりますが、それが行き過ぎると多様性を受け入れる事が難し

くなり排他的になります。そこで企業ではタイプの違うデザイナーを起用して市場

に対応する訳ですが個人的なブランドではそうはいきませんから、一つの価値観を強化さ

せ対抗しています。教育の場面においては教師の価値観と学生の多様性との間にギャップ

が生じる事があります。その現象に対して政策的に価値観の特定が行われると、学びでは

なく洗脳という構造が出来上がってしまいます。多様性への理解や対応は時代の要求でも

ある訳ですから逆行が起こらない様に度々現場の再考が必要になります。

2015年11月16日月曜日

オリジナルがどこにあるのか?日本のFASHIONdesigner


日本でクリエーター的な位置にいるファッションデザイナーの
アイデンティティーは何か、洋服を作る意味は何か、素材の性格、意味を理解しているのか、パターンの善し悪しが解るか、ディティールの意味を分かっているのか、
コンセプトの意味が分かっているのか、世界と比較して優っている部分はどこか、
世界で一つのオリジナリティーがあるのか、それを支え、伝える背景があるのか、
MD主導の国内インハウスデザイナーで無いかぎり、世界に出ればこの様な暗黙の問に晒されます。日本の幼いファッション好きはオリジナルの開発者や歴史は知らないでしょう。この様な背景を伝えるジャーナリストも少なくなりました。優しいファンに追随されるのも良いかもしれませんが、リミックスに逃げない世界で唯一の作品を示す責任があります。そして、それを最大限賞賛すべきです。

2015年10月26日月曜日

「ビルを着る」


「ビルを着る」というタイトルから

ビルの窓から手足を出して天井を突き破り頭を覗かせたビルファッション、仮装なら有り得ますが、既存のビルを使用しては不可能です。今回は、作品の展示空間として使用したかった訳ではありません。又、店舗デザイン例として業界に向けた提案でもありません。
この表現は、着る事の比喩として私が空きビルと会話し格闘した痕跡なのです。
考古学者やプロファイラーの様に私が施したアプローチ以外に以前の住人の痕跡を読み取る事も出来ます。正直に言えば私は空きビルを紹介するだけでオフィスを試着させる事が出来たのかもしれません。壁の染み、天井の穴、床の傷、カーテン紐の陰、その一つ一つを私が意識した様に見学者もその細部に興味を持つのか、それとも、そこに展示された作品にしか反応しないのか、私は、それを想像しながら埃ですら拭き取るか、残すか、思考します。綺麗にする事の意味を問い直します。敢えて埃というベールをかける事も出来るのです。壁の穴は以前から空いていたのか、私が開けたのか、それは穴なのか、収納場所なのか不明です。又、壁から衣服の材料を採取する。床にメッセージを刻む、衣服は隙間に挟む、椅子は分解し壁に戻す、その場を撮影しその場に貼り付ける。その状況を最大限リスペクトする。約2週間このビルと切磋琢磨した事で考えるヒントを多く採取しました。自然から切り出し加工し計画された都市での生活を部分的に巻き戻し、別の方向に進める事で複数の物語を想像出来るという事です。それは、いずれ訪れる震災や事故、老い、死に対して、もう一つの意味を見つけるヒントでもあります。

2015年9月27日日曜日

津村 耕佑 TRANS ARTS TOKYO 2015


TRANS ARTS TOKYO 2015


五十一八クリエイティブプロジェクト

開催日時109日(金)~113日(火・祝)

会場五十通り、一八通りエリア入場料無料

 

津村耕佑プログラム

旧青山ごはん亭ビル 

住所:東京都千代田区神田錦町22-20

「ビルを着る」WEAR a BUILDING

 

山口屋釣漁具

住所:東京都千代田区神田錦町22-14 酒巻ビル1f

FISHING HOME

 

FINAL HOME PROJECT 

書を着て街へ出よう! 

 
http://kosu-k.wix.com/kosuke-home#!-finalhome-archive/cceq

FINAL HOMEとは!「究の家は服である」というコンセプトは不安定な社会や震災などに個として立ち向かう礎として1994年に津村耕佑が掲げたものです。平穏な日常的はもとより非常時など、あらゆる状況に対応する都市型サヴァイバルウエアーとして普遍的な機能をもっています。予め非常食や医薬品を入れておく事で非常時には着用して逃げる事が出来ます。身の回りにある雑誌や衣類などクッションの変わりになる物を入れれば落下物から身を守ると同時に保温効果も得られます。ファスナーで開閉する生地の隙間は必要な時だけポケットになるのでオーバースペックなアウトドアーウエアーとは違い、外観はとてもシンプルなので日常でも違和感なく着用できます。

2015年9月13日日曜日

批判を求めよ!


意見を言い難い、言うと敵対視されるので無力感が漂い出します。

結果的に保身を考えて無言になる人が増える反面、無名で悪意を示す人も増えます。

この悪循環に切り込む勇気をもつ人がいればアパレルも活気付くと思います。

 

不幸を作れ!そして克服を楽しめ!


スリルの活用方法、退屈を学んではいけません。

不幸は宝です。不幸を作れ!そして克服を楽しめ!

不幸の克服、チャレンジから生まれる苦労、苦悩は人と関わる為の接着剤になります。

傷が出来れば身体は傷口を塞ごうと活性化します。マイナスを克服しようと思えば苦労がうまれます。それが負荷になり心身が活性化します。克服された出来事に浸っているのでは無く隙間や空洞、マイナスを見つけ、選び、又、作り出す事が肝心です。

満ち足り、苦労も無いなら人と関わる必要も事もありません。関わり方に変化もありません。苦労も慣れると苦労では無くなります。だから慣れない事にチャレンジします。

そうすると人との関係も変化し続けます。

2015年9月12日土曜日

見ざる、言わざる、聞かざる、


表現の自由は平等を担保するうえで重要な権利です。

権威に対する告発機能もあります。

今回の出来事は闇に穴を開ける役割も果たしましたが、反面ネットの

怖さ、暴走するリスクも浮き彫りにしました。

その結果表現の自主規制に留まらず個人的な発言を禁止する組織も出てくる事が考えられます。
この問題が、結果的に黙り込む人を増やしてしまったとすれば、
 
権威側のコントロールが容易な環境が整った事になるのかもしれません。

2015年9月9日水曜日

矛と盾


デザイナーや審査員達が気付かないうちに方向付けされていたのかもしれませんね。
それでも矢面に立たされてしまった人達への攻撃から背景にある闇があぶり出されれば良いのですが、ガス抜き材料として使われては立つ瀬がありません。デザイン取り下げによって責任追及から逃れられると思っているなら、今後に控えるユニホームデザインや開会式の演出なども同じ事の繰り返しになるのではないかと心配になります。

 

トカゲTAIL


ファッションデザイナーはブランドビジネスの矢面に立ち賞賛も受けますが
バッシングにも合います。特に多民族の集まるヨーロッパではその落差は激しく、プレッシャーから精神に支障をきたすデザイナーも少なくありません。よって契約金は高額になります。日本はその逆です。賞賛もバッシングも殆ど無い代わりに給料は営業職より低額です。売れなければトカゲの尻尾の様に切られます。何も生み出さない営業や雇われ社長は延命します。この空気は商品や空間を通じて人々に伝わります。ファッションデザイナーを目指す学生が減るのも必然でしょう。

指針というデザイン!


触れたく無い気持ちも解りますが、この出来度が不運な事故だと捉え過ぎ去るのを待つのみという姿勢で良いのでしょうか、デザイン教育に関わる身として避ける事の出来ない問題だと思いました。では、オリンピック関連の出来事から何を学べるのでしょうか、一つの考え方として、明るみに出た仕事内容も通常では問題視される筈の無い事であり、固定観念の破壊がクリエーションだとすれば、早いうちに気づいたもの勝ち、後発は儲けが少ないので悔しかったらトップになれ、と、むしろ効率的な仕事のお手本なので見習いなさいという事例でしょうか、学生達には、綺麗事では済まないビジネスの現実を叩き込む方法もあります。しかし、富を引き寄せるテクニックとしてのデザインを超えて未来を作る思想に繋げる事は出来ないのでしょうか、このままでは殺伐として夢がありません。この件に関わる業界トップの方々から、何が重要な価値観なのか、倫理観、哲学、革新性など、もう一度点検して学生又は、デザインの解らない一般人に伝えていただけないのでしょうか。

 

告発!Accusation


デザインは心地よさの提供だとしても、

クリエーティビティーは大切であり、それは、綺麗なだけ、心地良いだけでは無く、

告発性を秘め、何か人の行動を駆り立てるものが無ければダメだと思うのです。

2015年9月6日日曜日

ファストデザイン

デザインにプロモーションの為の話題性が求められると無名性すら逆利用されます。ニュースのリサーチ、ファッション性のチェック、記号のカット&ペーストで話題性がどれだけ作れるかテストを兼ねたデザインには哲学は邪魔なのでしょう。それは、クライアントマネージメントがデザインだと教えざるを得ない学校の焦りを映し出しているのかもしれません。
しかし、プロモーション主体のデザインだけでは、企業コンプライアンスも保てない時代でもあるのです。

アノニマスと宣伝


良いデザインはデザイナーの存在を感じさせないものだという考え方があります。自然と生活から生まれた技術の継承における造形の純粋性、有名である必要は無いのです。

現代でも無名の名品はありますがブランドがそれを担保しています。

ビジネスを拡大させる為にはアノニマスだけでは不十分なのです。

宣伝効果とデザインを効率的に考えた時、モチーフを0から生み出す行為はスキップされデータをネットからピックアップしてコラージュする方法に行き着きます。

そこに、権威やファッション性を付加して説得力を高めます。

その為にデザイナーは担ぎ出されインフルエンサーとの2ショットビジュアルや権威者のコメントなどが付加されます。その方法が正しいとするなら、デザインはAI(人口知能)でも代用出来る事に行き着きます。人間は人間味の無いデザインを広める為の役者にすぎません。

私は人間のコンプレックスに親和性があると感じていますから、完璧なデザインや固定したシステムは破壊したくなるのです。

AI ART


ご存知のように、チェスの名手がコンピュータに負けた事を思えばAI(人口知能)の開発が進めばエンブレムデザインなどは簡単に答えが出るでしょう。過去のあらゆるマーク、デザイン、法律、趣向、時代、展開、収支、必要データのピックアップと入力も自動的に行います。それだけではありません、ファッション、プロダクト、インテリア、建築、撮影、編集、教育カリキュラム、人生設計、それらの仕事もクリア出来きそうです。コンテストの審査も権威と言われる人の思考パターンを組み合わせAIの力を借りる、いや、間違える筈はありませんから審査の意味すら無くなります。将来、デザイナーとはAIの管理人の呼び名になるかもしれません。それは既に人間からモバイルツールに歩み寄る現象にも現れています。思考や行動がミニマライズされている事に気付かないだけです。しかし、変化する環境や人間の精神と身体との互換性をキャッチアップするほどAIが身体化、環境化されるまでには、どれほどの時間が必要なのでしょうか。そして、人々がデザインに違和感を持たなくなる時代が訪れた時、デザインは勝利したと言えるのでしょうか。

 

意識が生まれる時

「すごく悩んで制作しています」と語る学生、悩み続ける事から逃げないで欲しい。それが宝です。しかし、既存のファッション、身近な成功例しか見えない学生はコネクション作りに励みます。先生や講師を相手にした媚び方を学びと勘違いしている様に見受けられます。迎合出来る仲間が最高だと思っているふしもあります。世界は、文化は、多様です。コンプレックスを抱えた隣人がいます。美大にも来れない若者もいます。弱者には無関心で権威に媚びる事しか知らない人のデザインは嫌味に満ちています。人の心に届くものではありません。

2015年8月22日土曜日

象徴というアバンギャルド


私は子供の頃、亀倉雄策のオリンピックポスターに新しい時代の予感を感じたものです。
あの時代は、古い日本のあらゆるものがクリーンアップされてゆく感じがしていました。
そこから長い時間が経過し、日本は物質的には何不十無い国になりました。一方、自然災害の不安、原発問題、集団的自衛権などなど、閉塞感は蔓延しています。その中で再び東京でオリンピックが開催されます。それを切っ掛けにして国民の団結心を高め経済も潤うという思惑、願いだったと思います。しかし、現実は不透明な利権構造ばかり浮上し逆に国民の不信感は高まり、フラストレーションを抱いた人々がはけ口を求めて彷徨う結果になりました。苦しむ人達には余裕がありません建築、デザイン、代理店の事情も解らいのです。解らない人が悪いからといって無視されると不満は蓄積されます。皆に届くようにフェアにオープンに進める事こそ現代のデザインである。デザイン関係者自ら主張している内容だと思います。
亀倉雄策のポスターは日本の国旗思わせるデザイン、それは日本人にとって象徴である天皇と無縁ではありません。これは大変勇気が必要なデザインだったと思います。
批評性をもって未来を肯定するデザインはアバンギャルドでもあると思います。
団結心の象徴としての国旗、しかし、国旗の下に戦争をし、敗戦を迎えた日本人にとって日の丸は複雑な象徴でしょう。それを見事に団結の象徴とした行為はむしろ芸術に近い気がします。
デザインは経済と文化を繋ぐ道具としてクライアントの意向に忠実であるべきです。
しかし、双方を挑発し高める役割もあると思います。クライアントとの関係で完結せず
人々の無言の欲求を感じ表現する時、それは自分を信じるしか無いと思います。
衝動や直感などもそれに近い感覚で説明が難しいものだと思います。
今の日本でそのリスクを一人のデザイナーに負わせる事は酷かもしれません。
あの時代と呼応した亀倉雄策にしか出来なかったデザインならば、憲法9条の様に
それをアレンジせず守る事を決め、テクノロジーやメディア環境を踏まえ、現代に対応させる努力を後輩のデザイナーが負っていったらどうでしょうか、オリンピック、パラリンピックのデザインは関係性をもちつつ差異をつけるのが普通の考え方でしょうが、
一つの象徴の元に同じ人間だという事を示す為に同じ図柄を採用したら良いのではないかと思いました。それは日本だからこそ世界に表現すべき思想ではないかと思います。

 僭越ながら個人的な考えを語らせていだだきました。

2015年8月18日火曜日

優秀という憂い


日本のデザイナーは勤勉で緻密で問題解決能力もあり本当に優秀です。

ですから世界で活躍するアパレルやデザイナーから信頼も得て活躍していますしかし、スターとして矢面に立ち、ピックアップされる事は稀です。ファッションデザイナーの場合は、次シーズンのスタイル、価値観を提案するという、神をも恐れぬ暴挙を平然と自信をもって世界に提案出来る素養が必要なのです。移民が多いヨーロッパで差別にめげず、そのパフォーマンスを保てるメンタリティーは戦いに晒された民族故の特性では無いかと思います。奥ゆかしい日本人の美意識、和の心とは逆の価値観だと推測します。ですからヨーロッパでブランドを背負うデザイナーは、当然ギャラも高額になります。しかし、日本ではMDより低い賃金でインハウスデザイナーを祭り立てデザイナーズブランドと称しています。それは、国内需要で事足りる環境での販促活動でしかありません。貴族社会での帝王学と比較し
 庶民文化に芸術が溶け込んでいた日本の立ち位置は今でも変わりません。日本人がヨーロッパ的帝王学を纏っても無理があります。
それより、システムの変換に繋がるクリエーションが大事ではないかと思います。

2015年8月14日金曜日

個性と集合知!

日本は八百万の神が共存すると言われ、村社会的な構造の中で他人のアイディアも大らかに共有する土壌があったと思います。
先生といわれる長は下っ端のアイディアなんぞ自由に使って良いという暗黙の了解も存在していた気がします。
それどころか、カリスマに使ってもらった~っ!と喜ぶ小僧も少なくありませんでした。

縦社会のルールには歯向かうなかれ、末永くお付き合い下さいという事でしょう。

一方、ヨーロッパは戦い、略奪、迫害の中でサヴァイバルしてきた歴史があります。
宗教も強力な鎧になります。自ずと他者と自己はハッキリ別れ、
オリジナリティーやクリエーションには惜しみない賞賛を与えます。
略奪の歴史の反動か、正当化なのか厳格であろうという姿勢を感じます。

美の概念に関してもデザインの方法論にしても打ち立てては批判し更新し歴史を作ってきました。

中国も素晴らしい様式や思想を打立てながら、欧米化に移行する過程ではコピーに甘んじるしか無いようです。

「先人の偉業を受け継ぐ」という日本的な手法が美しさとして国際的に理解されれば良いのですが、
オリンピックという戦いの場面では感傷的すぎましたかね、

2015年7月31日金曜日

デザインは爆発だ~!

1970年のバンコク博覧会の施設計画に参加する事で近代化に対する反対の立場、生命の多様性を太陽の塔を通じて表明した岡本太郎や公共建築、土木建造物の機能は担保しながら人間や生命の根源的な姿を彫刻的に現そうとしたイサム・ノグチなどは共に芸術家でした。最近は問題解決がデザインの役割であると頻繁に耳にします。医者と患者の関係と同じ様に、解決を求める側にとってどんな回答でも解決したと信じたい訳です。よって仕事は必ず完了します。クライアントとのやり取りはそれで正解なのです。しかし、クライアントの意向に敏感なだけでは不十分なのです。時代が求める欲求に敏感であるか、無言の欲求を背負って問題提議が出来るデザイナーであるかが問われるのだと思います。

一生が戦い


今はグラフィックデザインも写真表現もファッションもコーディネート感覚で簡単に表現出来ます。狭い範囲ならば趣味として楽しめます。しかし、公共性が高くなるほど影響力は増す反面多くの問題に対応する必要も発生します。クライアントから依頼された仕事の場合も同様に気を抜けない厳しい職業です。そのうえで固定観念と格闘し新しいフィールドを見出す事はデザイナーもアーティストも違いは無いと思います。一生が戦いのエキサイティングな職業です。


2015年7月28日火曜日

美術館が扱える美とは?


宗教、人種、国、文化的に異なる様々な国の人達が色々な国を旅する時
普通は訪れる国の法律や習慣に従います。自国の風習で訪れた国を批判するならば行かなければ良いのです。従って、ドイツで鉤十字の服を着るにはリスクが伴います。日本国内でも地域で風習の違いから揉め事がおこる事もあります。それが強いと排他的になり差別につながる事もあります。出来れば寛容な国や地域に旅したいものです。ベジタリアンが日本に来てすき焼きにクレームをつけたからといって営業停止にはなりません。フランスでイアスラムのブルカというベールが問題視されましたが日本では着用は自由です。その意味で日本は寛容な国に属するでしょうが果たして今はどうでしょうか、では世界中の様々な人々の多様な価値観に対して寛容な国、場所とはどこでしょう?ファンタジーかもしれませんが、それを実現しようとして政治家や教育者、芸術家が活動してきたと信じたいです。デザインは限りなく他者の視線を意識し問題が起こらない事を担保にしたうえで表現に至ります。その限りでは人間の深層に潜む美を掘り起こす事は難しいです。
醜と美も複雑に絡み合いその時々で意味合いの変わる出来事を過去の芸術家達が批判に屈せず今の私達に教えてくれました。彼らの挑戦によって開かれた表現をデザイナー達は広く公共物として応用してきた訳です。決着のつかない表現、未知の感覚、タブーであった出来事、今、それらを表して良い場所はどこでしょうか、

2015年7月26日日曜日

東京オリンピック エンブレム!

日本国民が未来に希望を抱いていた60年代と今は違います。刹那的ではありますが安定した生活者を捉えたデザインが今の東京を表わしています。しかし、阪神淡路大震災や3.11などを経験し、怒りを秘めた人達がいる事を想像するならば「志をデザインする」事は出来ると思います。いや、衝動がそうさせると思います。震災後そのマインドは芽生えたと思いまが、継続出来ずファンタジーを利用して人気者になるしかないのが現実、大学でも哲学は問わない傾向にあります。それは問うても借用された意見では意味が無いからでしょう。不可の無いオシャレなデザイン、嘗て知った崩し表現、その繰り返しに自ら浸って安心している、いや、浸らざるを得ない状況に危機感を感じます。

2015年7月17日金曜日

悩みとは、未熟さに付け込み趣味のプレーをさせる為に作りだされたもの。

http://www.geocities.jp/torikai007/1933/nazi.html

夢を失った人間が他者に趣味のプレーをさせる為に発明したものが「悩み」

最初から悩みがある人は甘い言葉で簡単に踊ります。

自己が確立しかかっている場合は説教で攻撃して弱さを見つけ出し後から付け込みます。

特に最近の若者は注意が必要です。


 

2015年7月10日金曜日

もとの環境を覆い隠す事無く、そして負荷をかけず。



見慣れた環境でも初めての人には新鮮で発見に満ち溢れています。決してオマージュに浸る事では無く発見し続ける事もクリエーションです。飽きたからといって力まかせに空間を変え権威を振りかざしても直ぐに飽きてしまいます。その権威に便乗する事無く勇気ある表現者でありたいものです。もとの環境を覆い隠す事無く、そして負荷をかけない作品を探して偶然見つかった画像です。

2015年7月4日土曜日

自分は自分の作品を作っているのか?それとも自分は誰かの作品なのか?


美大生が数クラスに教室を振り分けられ
 
統一課題で作品を制作しているのも関わらず
 
担当講師の指導スタイルや価値観によってクラスごとに作風が変わります。
 
特にファッションはそれが顕著に出やすい分野です。
 
場合によっては、学生は講師の思想の表現者になってしまいます。
 
各講師は一生懸命になるほど違いを際立たせようと頑なになります。
 
その学課の評価ポイントを以前から理解している講師は
 
上手く暗示、又は指導します。それを受け高評価を実感した学生は喜び
 
異なる価値観や自分の思惑のみで作品を制作した学生は逆に落ち込みます。
 
一定の表現がスタイル化してしまうと多様な表現はリスクです。
 
しかし、社会は、世界は、多様性に満ちています。
 
嘗てはドロップアウトした学生が社会で頭角を表す事もありました。
 
今では従順な学生が増える中、美術大学は造形表現に特化しつつも
 
多様な事態を生み出す事が大切だと思います。
 
ファッションの学びは造形から始まり造形から逸脱する事です。
 
それが社会をコンバインする切っ掛けになると思います。
 
 
 


2015年6月28日日曜日

色の粒子の輪廻転生 入江 早耶


昨日は広島在住のアーティスト入江 早耶さんと会いました。私が資生堂アートエッグの審査員を任された時の大賞受賞者で現代アートシーンでもユニークな位置にいると思います。

平面である絵画や印刷物を消しゴムで消し去り、そのカスで画像を立体に再現します。

側面や背面は創造されます。消し去った部分の色のついたカスでディティールが再現されますから像は小さくなります。色の粒子の変容、輪廻転生だと思いました。
https://www.shiseidogroup.jp/gallery/artegg/result/egg06.html




2015年6月25日木曜日

2019年 流線形は未来か?


食した事の無い材料で料理は出来無いように安全基準を満たした材料でしか製品は作れません。全く新しい物に従来の価値基準が適応されるには時間がかかります。さもなければ新たな基準を作る必要があります。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』が原作の映画「ブレードランナー」に登場するレプリカントは、外見上は本物の人間と全く見分けがつきませんが過去の人生経験が無いために「感情移入」する能力が欠如し制御不能に陥るリスクから危険性を抱えたネクサス型ロボットでした。その中でもより人間らしいレプリカントを目指して製造された特別な個体レイチェルは通常行われない人間からの記憶の移植を受け感情が芽生えました。「ブレードランナー」の舞台は当初2020年でしたが「Twenty Twenty」が視力検査で両目とも2.0/2.0であることの表現でもあり混同を避けるため2019年に舞台が変更されました。2020年には東京オリンピックの開催が決定されています。劇画「アキラ」では、その前年の2019年、国立競技場を舞台に超能力をコントロール出来ない鉄雄の暴走を止めようとする金田と超能力を国家権力の思惑が交錯し無残にも破壊されます。ザハ・ ハディドのデザインした国立競技場は工費が予算の数倍であり尚且つ構造的に問題を抱えた建造物ですが国の威信を示す為のモニュメントとなります。流線形や超高層が未来を象徴していた時代から日本は新たなステージに入ったと喜んでいましたが思い過ごしだった様です。未来への可能性を示す方法としては巨大な象徴が必要なのでしょうか、畏敬の念によって国民を治めようという思惑でしょうか、歴史や記憶、文化から離れた社会の末路は悲しいです。記憶の制御が効かないレプリカントです。分裂した価値観を繋げる思想が必要な事は分かっている筈です。それが無い事によって延命している事も分かっていますが、、、
 
 
 
 
 
 

Speciality & Diversity ゼミに留まらないテーマです!


ファッションの専門性(スペシャリティー)は

多様性(ダイバーシティ)との新たな関係作りにあります。

自己のスタイルと多様なイメージと再構成を試みる。

 ファッション記号論、物、人、背景、仕草、言葉から何かのメッセージが発信されている。対象の持つ記号性の意味を深く解釈し多様な組み合わせ応用方法を試みる。
カオスから宝を見つける。一見デタラメに見える組み合わせにも共通項がある。
それを読み解き再構成する事で新鮮なライフスタイルの提案を行う。