2015年5月31日日曜日

Happy 13th Anniversary Amaranth Lounge

Happy 13th Anniversary Amaranth Lounge!







FINAL HOME Project

https://vimeo.com/43291611 
http://kosu-k.wix.com/kosuke-home#!-finalhome-archive/cceq
最近地震も増えてきました。
FINALHOMEは非常時に備えてカスタムする事が出来るナイロンコートです。
全身がポケットになっていますから、落下物から身を守る為にフードにクッションとなる物を入れる事もできます。他のポケットには非常食や医薬品を入れておけば安心です。



FINAL HOME「究の家は服である」というコンセプトは不安定な社会や震災などに個として立ち向かう礎として1994年に津村耕佑が掲げたものです。平穏な日常的はもとより非常時など、あらゆる状況に対応する都市型サヴァイバルウエアーとして普遍的な機能をもっています。

予め非常食や医薬品を入れておく事で

非常時には着用して逃げる事が出来ます。

身の回りにある雑誌や衣類などクッションの変わりになる

物を入れれば落下物から身を守ると同時に保温効果も得られます。

ファスナーで開閉する生地の隙間は必要な時だけポケットになるので

オーバースペックなアウトドアーウエアーとは違い、外観は

とてもシンプルなので日常でも違和感なく着用できます。

2015年5月30日土曜日

Charlotte Rampling The night porter


依存性
愛の奴隷


愛は相手の存在を肯定する。


又、思考を拘束する強力な鎖


愛する側はあなたの良さに気付いているのは自分だと語り理想のパフォーマンスを求める


賛辞を与えられた側は喜び、同時にそれが失われた時の欠乏感を恐れ、お好みに合わそうと努力する。愛する側はあなたを通して自分を愛している。


自己投影の相手をいつも見つけている。

2015年5月23日土曜日

現実泥棒!

道具を使い自分の価値観で現実を切り取って、加工して、表現するなんてずいぶん傲慢な行為ですね。アーティストは現実泥棒です!

2015年5月20日水曜日

私が COMME des GARÇONS、に感じていた事!

私は自分がファッションデザイナーという事やISSEY MIYAKEグループに在籍していた事もあり他のブランドやデザイナーに関してブログやSNSで語る事は控えてきました。今はA-netからも離れアパレルビジネスとの関係も無いので以前から気になっていたブランドに関して少しずつ思いを打ち明けて行こうと思います。それは自分の背景にあった歴史と無関係ではありません。前回語った
私は何故、独立しFINAL HOMEをプロジェクト化する事に至ったのかhttp://kosuketsumurahome.blogspot.jp/
という物語の肉付けだと思ってもらえば良いと思います。

それで、コムデギャルソンに関して今まで思ってきた事を整理して、いや整理なんて失礼、そんな事出来る訳ありません。戯言だと思って聞いてください。

コムデギャルソンというブランドは違和感すら魅力にかえてしまう深さがあると思います。通常ブランドとはイメージは守りながら技術アップを心がけ権威的な美に近づこうとします。それは不完全さへの批判となり未熟な若者が近づく事を拒みます。コムデギャルソンは自身のイメージとも戦い技術すら疑っているように感じます。イメージダウンに怯える事こそ潔し、としない姿勢が若者の共感を得る理由だと思います。人間の不完全さを批判せず、共にクリエーションしましょう。という空気を発していると思います。ファッションがどんな発生の仕方をするのか?何処に美は隠れているのか「顔を出してごらん」と語りかけているようです。「でも恥ずかしいなら隠れていなさい」と、
完璧な身体に権威の証を身に付け美を振りまきながら自信満々で闊歩する人は次の瞬間ミイラになっているかもしれません。反対に恥ずかしさを抱えたまま自分の生き方をコツコツ作る人もいます。その様な人の味方、パートナーになるファッションもある事を示している気がします。

2015年5月19日火曜日

私は何故、独立しFINAL HOMEをプロジェクト化する事に至ったのか、

FINAL HOMEは何故うまれたのか!その切っ掛けから、、私のアイディア自分のデザインである事の主張、既成事実という戦い方、発表方法の開発、ブランド化とビジネス、、、、、そして何故、私は独立しFINAL HOMEをプロジェクト化する事に至ったのか、その経緯を語る上で触れずにいた部分を明らかにする必要を感じました。今後、数回に渡って記してゆこうと思います。
http://kosu-k.wix.com/kosuke-home#!-finalhome-archive/cceq 
1993年新宿歌舞伎町にてFINAL HOMEの試作品を津村自ら着用し防寒実験

2015年5月16日土曜日

Let's go to the Come picnic

感動の種類が出揃っているなら、それを編集して安定した感動は与えられるでしょう。
しかし、成功体験が未知の感動や発見を阻害する事があります。教育場面で学生の成果を性急に求めるあまり陥る罠でもあります。作品として調整されたものより無造作に置かれた道具や虫に食べられ穴だらけになった葉に美を感じたり、建設現場に感動したりします。そんな事を思うと作品評価の難しさを感じずにはいられません。勿論、苦労は評価すべきですが、作品に繋がらない時間も人生なのです。それを無為とは言えません。作品評価というものが政治性を帯びてしまい自由な想像に方向性を与えてしまう責任を感じます。美を檻に入れ見世物にした時点で逃げてゆく野生をどの様に眺め、感じれば良いのでしょか、とりあえず電源をOFFにして一緒にピクニックに出かけませんか!


 

2015年5月10日日曜日

Silver car Crash

1960年代アンディーウォーホルやロイ・リキテンスタイン、ジャスパー・ジョーンズらを代表とするポップアートが大量消費社会の正体を暴いてからメディアの急激な進化に伴いエンターテイメントやデザイン手法としてバリエーションだけは増えた。しかし、現代の情報化社会を表す作品は存在するが暴くまでに至った作品には出会っていない。それは高度情報化社会も大量消費社会の延長にあるからかもしれない。未だに大量生産でしかコストメリットを出せないファスト・ファッション、ファスト・フードがそれを物語っていると思う。ファスト化へのカウンターとして高級志向や自然趣味は一定の評価はあるものの労働やサービスの自動化による無力感、広告のイメージ支配によって消費者という快感に浸ってきた感性を目覚めさせるまでの切れ味は高級志向や自然趣味には無い。もしかすると未来はこのバリエーションの延長上にしか無いのかもしれない。勿論技術は進歩し医療の制度も上がる、ビッグデータの可能性は計り知れない。都市は機能的になり田舎の効能も享受できるだろう。しかし、一方でデザインもファッションもアートも人口知能が演算計算で処理できる伝統とハイテクを織り交ぜたエンターテイメントやファッションビジネスに過ぎなくなるだろう。この連続を断ち切れるのは、気まぐれで天邪鬼で不出来な人間の過失というべき作品かもしれない。その予感はある。


2015年5月8日金曜日

sagacho bis 1986 佐賀町エキシビットスペース個展

http://kosu-k.wix.com/kosuke-home#!1986-12925/c1okj

私が三宅デザイン事務所に入社して間もないころ密かに製作していたオブジェ作品を三宅一生さんに見てもらいました。そして小池一子さんがディレクターを務めるオープンして間もない佐賀町エキシビットスペース、そこの小さな部屋sagacho bisでの個展を進めていただきました。
ファッションの仕事と直接関係のない私の我が儘を面白がってくれた一生さん(その頃は皆、親しみを込めてそう呼んでいました)が今の私の活動の土台になっている事は間違いありません。





























普遍的なメディア・知識の循環をアート!

大地から木が生え、そこから紙が生まれ本が本は知識を私達に伝えます。その流れを自然の中の図書館として表現しているとこらがメディアアートとしても秀逸です。

2015年5月6日水曜日

P:K:戦!

僭越ながら天才ピカソの名言をP:とし、それに呼応した、私の解釈、いや、迷言をK:として書き加えさせていただきました。
 
P:私は探さない

そこに見いだすのだ

K: 探すとは、見つけ出すべき答えが解っている。

見出すとは、自己の創造性が関係する。

 

P:人はあらゆる物や人に意味を見いだそうとする

これは我々の時代に蔓延る病気だ

K:意味とは皆が共有出来る既存の価値観でしかない。

 

P:アクシデントが起きると人はそれを変えようとするしかし誰にも変えることはできない

アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

K:そもそもアクシデントは無い、それをアクシデントと感じる平穏を自分で決めているだけ。

 

P:出来ると思えば出来る、出来ないと思えば出来ない。

コレはゆるぎない絶対的な法則だ

K:出来る、出来ないも自己都合の基準である。

 

P:明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでも良いことだけ

K:計画とは死骸で出来ている。

 

P:芸術は苦しみと悲しみから生まれる

K:楽しみは享受するだけ。

 

P:ダメなアーティストは真似しようとする偉大なアーティストは盗む

K:真似とは原型を残す事、盗むとは価値を変換する事

 

P:閃きは自分で呼び込めるものではない

わたしにできるのは閃きを形にすることだけだ

K:表現者が神である。

 

P:全てのものは、限られた量しかない  とくに幸福は

K:全てのものは、相対的に存在する。

 

 

 

P:太陽を黄色い点に変える絵描きもいれば

黄色い点を太陽へと変える絵描きもいる

K:価値を採取する人もいれば価値を開放する人もいる

 

P:明日描く絵が一番すばらしい

K:作品は今日の死骸だ。

 

P:絵の玄人なんていうものは

絵描きに対してロクなアドバイスをしない

K:教育者とは自殺の仕方を教える人

 

P:誰もが芸術を理解しようとする

ならば、なぜ鳥の声を

理解しようとしないのだろう

自分を取り巻くすべてのものを

理解しようとしないのに愛せるのはなぜだろう?

K:無理解の代償として愛がある。

 

P:人生で最も素晴らしい癒しそれが愛なのだ

K:理解という稚拙な徒労からの開放

 

P:ようやく子供のような絵が描けるようになった

ここまで来るのにずいぶん時間がかかった

K:一般的に人は不安を学び安心を手に入れる。しかし、その頃には喜びを忘れている。

 

 

2015年5月3日日曜日

デザイナー津村耕佑もシネフィル連載陣に参加決定!

デザイナー津村耕佑もシネフィル連載陣に参加決定!近々スタート! - シネフィル - 映画好きによる映画好きのためのWebマガジン
世界で活躍するデザイナーの津村耕佑氏。
FINAL HOME 津村耕佑 シネフィルに新連載がスタート致します!
世界的に活躍するデザイナーであり、表現者である津村耕佑。 映画をはじめに彼の創造のアンテナに引っかかった様々なことを、連載化。
タイトルは「FINALHOME 津村耕佑の脳内サバイバル術」。
http://cinefil.tokyo/_ct/16818856
http://cinefil.asia/media/17227271

2015年5月1日金曜日

安心第一は危険!非安定と戯れる先に、

知名度が高いものと低いものの格差も開いている事から学びも画一化する傾向にあります。他分野との関わりや無関係に思う事が新たな視点の獲得への可能性を秘めているのに
そのチャンスが減っています。大学は一見無駄と思える学びや世代を超えた触れ合いから多くの視点をもてる場所の筈ですが、チームとグループを履き違え数人の関係に閉じこもります。学生も先生に効率を求め先生も就職の為の情報を与える事が最優先になっている気もします。最低限そつ無い処理の出来る人達は非出しますがイノベーションをおこせるかは疑問です。システムを整えて上手くいくのは管理側の理論ではないでしょうか、偶然が多発する環境は不安定ですがその様な場所からミラクルは起こると思います。