2015年8月22日土曜日

象徴というアバンギャルド


私は子供の頃、亀倉雄策のオリンピックポスターに新しい時代の予感を感じたものです。
あの時代は、古い日本のあらゆるものがクリーンアップされてゆく感じがしていました。
そこから長い時間が経過し、日本は物質的には何不十無い国になりました。一方、自然災害の不安、原発問題、集団的自衛権などなど、閉塞感は蔓延しています。その中で再び東京でオリンピックが開催されます。それを切っ掛けにして国民の団結心を高め経済も潤うという思惑、願いだったと思います。しかし、現実は不透明な利権構造ばかり浮上し逆に国民の不信感は高まり、フラストレーションを抱いた人々がはけ口を求めて彷徨う結果になりました。苦しむ人達には余裕がありません建築、デザイン、代理店の事情も解らいのです。解らない人が悪いからといって無視されると不満は蓄積されます。皆に届くようにフェアにオープンに進める事こそ現代のデザインである。デザイン関係者自ら主張している内容だと思います。
亀倉雄策のポスターは日本の国旗思わせるデザイン、それは日本人にとって象徴である天皇と無縁ではありません。これは大変勇気が必要なデザインだったと思います。
批評性をもって未来を肯定するデザインはアバンギャルドでもあると思います。
団結心の象徴としての国旗、しかし、国旗の下に戦争をし、敗戦を迎えた日本人にとって日の丸は複雑な象徴でしょう。それを見事に団結の象徴とした行為はむしろ芸術に近い気がします。
デザインは経済と文化を繋ぐ道具としてクライアントの意向に忠実であるべきです。
しかし、双方を挑発し高める役割もあると思います。クライアントとの関係で完結せず
人々の無言の欲求を感じ表現する時、それは自分を信じるしか無いと思います。
衝動や直感などもそれに近い感覚で説明が難しいものだと思います。
今の日本でそのリスクを一人のデザイナーに負わせる事は酷かもしれません。
あの時代と呼応した亀倉雄策にしか出来なかったデザインならば、憲法9条の様に
それをアレンジせず守る事を決め、テクノロジーやメディア環境を踏まえ、現代に対応させる努力を後輩のデザイナーが負っていったらどうでしょうか、オリンピック、パラリンピックのデザインは関係性をもちつつ差異をつけるのが普通の考え方でしょうが、
一つの象徴の元に同じ人間だという事を示す為に同じ図柄を採用したら良いのではないかと思いました。それは日本だからこそ世界に表現すべき思想ではないかと思います。

 僭越ながら個人的な考えを語らせていだだきました。

2015年8月18日火曜日

優秀という憂い


日本のデザイナーは勤勉で緻密で問題解決能力もあり本当に優秀です。

ですから世界で活躍するアパレルやデザイナーから信頼も得て活躍していますしかし、スターとして矢面に立ち、ピックアップされる事は稀です。ファッションデザイナーの場合は、次シーズンのスタイル、価値観を提案するという、神をも恐れぬ暴挙を平然と自信をもって世界に提案出来る素養が必要なのです。移民が多いヨーロッパで差別にめげず、そのパフォーマンスを保てるメンタリティーは戦いに晒された民族故の特性では無いかと思います。奥ゆかしい日本人の美意識、和の心とは逆の価値観だと推測します。ですからヨーロッパでブランドを背負うデザイナーは、当然ギャラも高額になります。しかし、日本ではMDより低い賃金でインハウスデザイナーを祭り立てデザイナーズブランドと称しています。それは、国内需要で事足りる環境での販促活動でしかありません。貴族社会での帝王学と比較し
 庶民文化に芸術が溶け込んでいた日本の立ち位置は今でも変わりません。日本人がヨーロッパ的帝王学を纏っても無理があります。
それより、システムの変換に繋がるクリエーションが大事ではないかと思います。

2015年8月14日金曜日

個性と集合知!

日本は八百万の神が共存すると言われ、村社会的な構造の中で他人のアイディアも大らかに共有する土壌があったと思います。
先生といわれる長は下っ端のアイディアなんぞ自由に使って良いという暗黙の了解も存在していた気がします。
それどころか、カリスマに使ってもらった~っ!と喜ぶ小僧も少なくありませんでした。

縦社会のルールには歯向かうなかれ、末永くお付き合い下さいという事でしょう。

一方、ヨーロッパは戦い、略奪、迫害の中でサヴァイバルしてきた歴史があります。
宗教も強力な鎧になります。自ずと他者と自己はハッキリ別れ、
オリジナリティーやクリエーションには惜しみない賞賛を与えます。
略奪の歴史の反動か、正当化なのか厳格であろうという姿勢を感じます。

美の概念に関してもデザインの方法論にしても打ち立てては批判し更新し歴史を作ってきました。

中国も素晴らしい様式や思想を打立てながら、欧米化に移行する過程ではコピーに甘んじるしか無いようです。

「先人の偉業を受け継ぐ」という日本的な手法が美しさとして国際的に理解されれば良いのですが、
オリンピックという戦いの場面では感傷的すぎましたかね、